

日本と韓国の歴史は?
隣国である日本と朝鮮半島は古代から交流がさかんで、仏教や漢字をはじめ、多くの文物が中国や朝鮮半島を経て日本に伝わりました。16世紀、豊臣秀吉による朝鮮侵略のあとは国交が途絶えましたが、江戸時代には回復し、鎖国中さえも江戸幕府の将軍が代わるごとに朝鮮通信使がやってきました。
19世紀末からは日本は朝鮮半島への進出を進め、1910年には韓国併合によって、韓国を日本の植民地としました。この間、日本は創氏改名(名字を日本式に改名させること)や日本語教育の強要など、朝鮮の人々を日本人に同化させる政策をとりました。また、日中戦争が始まると、労働力不足に悩む日本は植民地だった朝鮮半島にも国家総動員法を適用し(労働者を「徴用」)、奴隷のように扱いました。第二次世界大戦が終わると朝鮮半島は日本の植民地支配から解放され、1948年には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国に分かれて独立しました。その後日本と韓国の間では、徴用工問題は慰安婦問題と合わせて国交を回復するための主要議題として交渉されてきました。

1965年、ついに日韓基本条約によって日本と韓国との国交が正常化されました。この時、日韓請求権協定も結ばれ、日本が韓国に5億ドルの経済支援を行うことで、戦時中に起きた出来事についての補償や請求権の問題は「完全かつ最終的に解決した」と合意しました。(ところが、韓国側は必ずしもそうとはいかない)
日本と韓国、何でまた揉めてるの?
「解決した」とは言うものの、2019年、日本と韓国の関係は戦後最悪とも言われる状況に陥りました。その大きなきっかけになったのは2018年10月に元徴用工が日本に損害賠償を求めた裁判で、韓国の大法院(最高裁判所)が日本企業に賠償を命じたことでした。これに対し、日本は日韓請求権協定で解決済みと抗議、韓国の文在寅(ムンジェイン)政権との間に亀裂が入りました。
2019年7月、日本は韓国に対する半導体材料や先端素材、電子機器などの輸出手続きを厳しくしました。これに対し韓国は、徴用工問題に対する報復だとして日本を非難しました。さらに、日本が「安全保障上の措置」として輸出の手続きを優遇する対象国(ホワイト国)から韓国を除外すると、韓国も同様に日本をホワイト国から除外するなど、対立が拡大することとなりました。

韓国はパソコンやテレビなどの電気機器の生産が盛んで輸出も多く、またそれらの製品に欠かせない半導体の材料の多くを日本からの輸入に頼っています。このため、これらの輸入が厳しくなることは、韓国の半導体産業にとって大きな打撃です。
(日本国製図会2018)

これに加えて世間を騒がせたのは、韓国によるGSOMIA(軍事情報包括保護協定)破棄の発表でした。これは、北朝鮮の核・ミサイル開発に関する情報共有を緊密にし、北朝鮮の軍事的行為に日米韓で対処することを目的に日本と韓国の間で結ばれたものでした。文在寅政権は、一連の日本の不誠実な態度が韓国の「国家的自尊心」を喪失させるものだったと非難し、日韓の信頼関係が失われたとしてGSOMIAを破棄する発表に至ったとのこと。韓国の世論も過半数が破棄を支持していましたが、失効期限となっていた11月22日、韓国政府は破棄を「凍結」する決定を下すこととなりました。
日本と北朝鮮は?
2019年12月の時点で、日本と北朝鮮の間には正式な国交はありません。国交正常化の最大の障害と合っているのは、日本人拉致問題です。北朝鮮は長い間、日本人拉致(日本人を無理やり北朝鮮に連れ去ったこと)の事実を否定してきましたが、2002年の日朝首脳会談で拉致の事実を認め、謝罪しました。その結果、5人の拉致被害者とその家族が日本に帰国することができましたが、今もなお拉致されたままの日本人がいるとされ、問題は解決していません。