

香港の歴史は?
香港は古来中国の領土でした。しかし1842年、アヘン戦争の講和条約として南京条約が結ばれて以来、瞬く間に全域はイギリスの植民地支配を受けることになりました。第二次世界大戦中には日本の支配も受けましたが、イギリス統治下の資本主義経済・民主主義の仕組みのもと貿易港として、また工業都市として発展しました。
アヘン戦争(1840年〜1842年):アヘン(麻薬)の密輸を巡り、イギリスが中国(清)に対して起こした侵略戦争。イギリスによって密輸入されるアヘンの被害を食い止めるため清朝政府が取り締まりを強化すると、イギリス(パーマーストン内閣)はこれに抗議し開戦に踏み切った。2年に渡る圧倒的なイギリス有利の戦いは1842年の南京条約という清朝政府の完全な屈服で終結。清はイギリスに香港島を割譲、上海など五港を開港し、ヨーロッパ勢力によるアジア植民地の第一歩をゆるすこととなった。
1980年代に入ると、中国とイギリスの間で返還交渉が始まります。交渉の結果、1997年に香港は中国に変換されることが決まりましたが、返還後50年間は政治・経済体制を変えないことが約束されました。こうして、中国というひとつの国の中に、異なる政治・経済制度が存在する「一国二制度」が採用されました。
1997年の返還後、香港は外交と国防を除く高度な自治権をもつ特別行政区となり、国際金融センターのひとつとして反映しています。
香港で何が起きているの?
2019年2月、香港政府は、香港で身柄を拘束した犯罪容疑者を中国本土に引き渡すことを可能にする逃亡犯条例改正案を発表しました。これに対し反対派は、香港市民や滞在中の外国人までもが、中国政府に批判的であれば取り締まり対象になる可能性を指摘しました。言論の自由は侵害され、中国政府が影響力を強めて一国二制度が崩壊する恐れもあります。それが6月9日の大規模な抗議デモを引き起こしました。デモの参加者は200万人にものぼったと言われます。
これを受けて香港政府は、改正案の手続きを無期限延期(事実上の廃案)することを表明しました。しかし、デモ隊が改正案の完全撤回などを求めてデモを続けたため、香港政府は9月4日、完全撤回を表明しました。

中国はどんな国なの?
BC5000年頃に古代文明が栄えて以来、中国では様々な国(王朝)が興亡してきました。現在の中国は1949年に毛沢東を中心とした中国共産党によって中華人民共和国として建国された国です。以降、社会主義による計画的な国作りを行ってきましたが、経済的には行き詰まり、1980年代後半から市場経済を導入する改革・開放路線に転じました。
この結果、急速な経済発展をとげ、現在は国民総生産(GDP)がアメリカに次ぐ第2位、輸出額は世界一の経済大国となりました。その一方で、中国共産党による一党独裁政治が続き、言論の自由が厳しく制限(検閲、政府に批判的な人の逮捕)されています。1989年には北京で学生を中心に民主化を求めるデモが発生しましたが、軍がこれを弾圧、多数の死者が出ました(天安門事件)。また、国際社会からは、たびたび人権侵害を指摘され、改善を求められています。